ドラキュラ伯爵といえば、ハロウィン仮装でも定番のテーマですが、ルーマニアにある実在するお城をモデルにしていたことをご存知でしょうか。ドラキュラ城はーマニアの南部に位置する「ブラン城」をモデルにしており、カルパチア山脈の標高750メートル地点に建てられています。
また、ドラキュラ伯爵は小説や映画のキャラクターという位置づけでありますが、これもまた歴史上に実在する人物をモデルにしています。それでは、ドラキュラ伯爵(ドラキュラ公)について詳しくご紹介していきたいと思います。
ドラキュラ伯爵とは?その実在モデルについて
ドラキュラ伯爵といえばハロウィンの仮装でおなじみのキャラクターでもあり、黒いマントに犬歯のように突き出た鋭い歯、血塗られたメイクをしているのが特徴的です。ドラキュラ伯爵は、アニメや小説そして映画などにもたびたび登場しているキャラクターですが、実は大昔にルーマニアの実在した人物をモデルにしたキャラクターなのです。ドラキュラ伯爵とはどのような人物だったのでしょうか、その謎に触れていきましょう。
ドラキュラ伯爵は、1897年にアイルランド人の作家であるブラムストーカー氏の手によって生み出された小説のキャラクターでした。ブラム・ストーカー氏は、同郷の先輩である作家シェリダン・レ・ファニュの書いた吸血鬼の話に興味を持ち、自らも吸血鬼の物語を執筆しました。この時、ハンガリーのブダペスト大学で教鞭をとっていたアルミニウス・ヴァンベリー教授から、ストーカーは様々な国の冒険譚を聞かされ、その話をモチーフにドラキュラを執筆したとされています。
その中でもブラムストーカー氏が特に興味を持ったのが現在のルーマニアに位置するトランシルヴァニア地方の伝承だったようです。ちなみにヴァンベリー教授への敬愛を込めて、彼をモデルにしたヴァン・ヘルシングなる教授が小説ドラキュラの作中に重要な役割を持つキャラクターとして登場しています。
小説に登場するドラキュラの特徴と実在モデル
ブラムストーカー氏の小説に登場するドラキュラ伯爵は、現代人が持ち合わせているドラキュラそのもののイメージと言ってもよいでしょう。ドラキュラ伯爵は、ニンニクや十字架などを忌み嫌い、棺桶で眠り、夜行動を起こすなどおなじみの行動スタイルが確立されました。また、ドラキュラ伯爵は、鏡には一切映らず、蝙蝠を操るなどの技を持ち合わせるほか、家事をマメにこなすという一面もあるようです。
更に、小説をモチーフにした戯曲を行うにあたって貴公子のような振る舞いと容姿などもドラキュラ伯爵のキャラクターの要素として追加されました。演出の一環として使用されたドラキュラ伯爵のマントの着用と襟を立たせる演出もここが原点のようです。
ドラキュラ伯爵は、ブラムストーカー氏が小説を執筆するにあたって複数の人物を織り交ぜることで誕生したキャラクターですが、その中でもトランシルヴァニアのワラキア公ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)が中核をなすとされています。
父のヴラド2世は残虐だったことから悪魔を意味するドラクルと呼ばれ民衆から恐れられていました。その子であるヴラド3世もその残虐性を受け継ぎ、悪魔の子という意味のドラクレアと呼ばれ、それがドラキュラの語源となったとされています。ちなみにヴラド3世「ヴラド・ツェペシュ」の「ツェペシュ」は、ルーマニアの言葉で「串刺し」を意味しています。
当時はオスマン帝国など大国から領土や命を狙われる小国であったワラキアは裏切りなど起らぬように王の支配力を誇示していたとされています。ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)は、敵陣の捕虜を串刺しにしたり、残虐な王としても知られますが、それと同時に国をオスマン帝国から守ったという英雄としてもその名を残している人物です。
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